羽織の家紋について


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◆家紋とは
 家紋とは、平安時代頃から、自らの出自(家系・血統・家柄・地位)を表すために用いられてきた紋章です。 紋所(もんどころ)や紋とも呼ばれることもあります。

 文字の読み書きができる人口が少なかった時代には、苗字が読めなくても一目で見分けることが可能な家紋は、苗字に変わるものとして衣服や調度品、門扉、墓所などといった生活の一部として多く取り入れられていました。

  現在、日本だけで241種、5116紋以上の家紋があります。ほぼ全ての家に一つ以上の家紋があり、家紋の図案は、花や植物、動物、天体・地理・気象、調度品や武器、文字に幾何学模様など色々です。天皇家の十六弁八重表菊、徳川家の紋章である丸に三つ葵、橘諸兄が最初の使用とされる丸に橘などは有名です。

◆家紋の歴史
 家紋の起源は平安時代後期であると考えられています。公家では輿車などに家紋が用いられ、武家では、源平の対立が激化し始めた平安末期に、戦場において自分の働きを証明し、名を残す自己顕示のため各自が考えた固有の図象を旗幕・幔幕にあしらったことがその始まりであったと考えられています。 そして、家紋の役割が一段と重要になるのは、室町・戦国時代です。 デザインも、それまでの写実的なものから象徴的・紋章的な傾向が強まり、家・戦闘集団を明瞭に表すためや、戦場での識別を容易にするうえで重要な役割を果たすことになります。

 現在見る多くの家紋の原形は、この頃にほぼ完成していたといえるでしょう。 太平の続く元禄期になると、装飾的な面が強調されて家紋の形も優美になり、用途も多岐に渡って拡大します。また、苗字を持つ事が許されなかった時代においても家紋の使用は認められていたため、特に江戸幕府以降にデザインが大きく進歩し、多くの名作が生まれたとされています。 家紋には約2000種類のプロトタイプ(原型)があり、色々な理由を経て変化し続けています。

 それぞれの紋には理由や発祥があり、先祖は色々な想いを込めて家紋を変化させてきました。現在でもデザイナーに委託したり、自分でデザインを考えて家紋を変更する人は絶えず、今もなお変化し続けているのです。

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◆着物と家紋
 家紋は元来、武士では旗、幕、盾、武具に用いていたものですが、家紋の普及につれ衣服にも使われる様になりました。武家が家紋を礼服に付ける様になったのは鎌倉時代からで、当時はまだ一般化されていませんでしたが、南北朝時代に入って、「大紋」といった直垂に家紋をつけるようになり、これが礼服の始まりだといわれています。

 現在、留袖・喪服もしくは色留袖などには、背中・両袖・両胸に合わせて五つの紋が入った「五つ紋」の装いが最高礼装で最も格の高い装いです。次に背中・両袖に紋が入った「三つ紋」の略礼装、そして背中のみに紋が入った「一つ紋」は最も略式です。 また、紋の入れ方には染め抜き紋・刺繍紋・張り付け紋などがあります。

 染め抜き紋が一番格が上で、染め抜き紋には陽紋(日向紋)・陰紋・中陰紋があります。細い線を描き白く染め抜いた陽紋が正式です。陰紋・中陰紋などは略式として無地などに一つ紋として多くみられますが、最近では日向紋の一つ紋も多くみられます。